真光寺について
概略
御廟所
五輪塔のある玉垣内は文化財として県史跡に指定されています。
1995年(平成7)1月の阪神・淡路大震災により倒壊し、1998年(平成10)5月再建復興しました。
本堂
1945年(昭和20)3月、第二次世界大戦で空襲に遭い全山焼失してしまいました。現在の本堂は、1962年(昭和37)に再建されたものです。
観音堂
中に入り正面中央に観音様、すぐ右横に弁財天をお祀りしています。
いつも扉が閉まっておりますのでガラス越しにお参りください。
また、右側に福禄寿、左側に毘沙門天をお祀りしております。
熊野権現社
御社は、1988年(昭和63)5月に建立されたものです。
5月の熊野権現の法要は、こちらで行います。
大壇林の石碑
檀林(だんりん)は、仏教寺院における僧侶の養成機関、学問所のことです。
正面入り口の大檀林と刻まれている石は、1896年(明治29)9月に作られたものです。
無縁如来塔
戦前にあった阿弥陀堂跡に供養のために無縁塔が建立されたといわれています。
六地蔵尊・金仏地蔵
六地蔵尊は、1980年(昭和55年)3月につくられ、
金仏地蔵尊は、1936年(昭和11年)2月に祀られました。
遊行柳
「植えて又杖ついてみる柳かな」
遊行19代尊皓(そんこう)上人は諸国遊行の途中、1471年(文明3)に下野国(栃木県)那須芦野の里で、朽木の柳に結縁(けちえん)し、南無阿弥陀仏の名号をもって柳の精霊を済度されたことは、謡曲「遊行柳」によって知られています。1744年(安永3)10月、浪華の俳人佐々木泉明がその因縁をたどり、その柳の一枝を一遍上人示寂の地真光寺に移し植えたもの(現在3代目)で、この句碑を建てています。
光明殿
真光寺は、一遍上人が観音堂で往生する以前、「光明福寺」と呼ばれていました。
遊行七十三代一雲上人がその名から光明殿と名付けたといわれています。
鐘楼堂
1995年(平成7)1月の阪神・淡路大震災により倒壊し、1998年(平成10)5月再建復興しました。
河野静雲句碑
「白露や 永久に 聖の御跡ど」
河野静雲(こうの じょううん)<1887~1947> ホトトギス同人、
虚子門下の時宗俳僧
望月華山句碑
「菊剪つて われ一介の 祖廟守」
望月華山(もちづき けざん)<1897~1973> 俳号四十艸藤沢時宗宗学林に入り寮監河野静雲に俳句を習う。 真光寺元住職
御詠歌碑
『真光寺 御詠歌』
遊行74代他阿真円上人 作
金剛流 本間克伯詠監 作曲です。
寺務所
光明殿(客殿)玄関横が寺務所です。





